権徹 ゴンチョル Kwon Choul

権 徹ゴン チョル

歌舞伎町ポリス・ストーリー

人間の欲望がむき出しになる瞬間、事件・事故が発生する。パトカーのサイレンはその合図だ。猛ダッシュで心拍数をあげながら緊迫の現場へ向かう。新宿歌舞伎町で職務にあたる警官たちのリアルな日常を追った。

図:物語の始まりthe begining of a story

「写真撮るな、なんで撮るんだ!」。警官たちが職質風景をねらうボクに詰め寄ってきた。2010年9月 2013年7月 暴れていた男性が、警官たちに取り押さえられた。2008年8月 酔っ払って看板をけるなどしたらしい。2008年8月 袋詰めにされ、連行されていった。2008年8月 ホストクラブの看板を少女が見つめていた。ときどき目にする光景だ。2013年4月 「あっ、中学生か」。2006年11月 少女のカバンから身分証明書を探し出した警官から驚きの声がもれた。2006年11月 クスリでもやっていたのだろうか、フラフラ歩いていた少女2人は、カラオケ店の脇で倒れた。2006年11月 救急車で運ばれていったが、その後どうなったのだろうか。2006年11月 2012年12月未明 職務中、色っぽい女性を見つめる若手警官。彼もボクと同じオトコだ。2013年8月深夜 まぶしいほどの街の灯りは、人間たちの欲望を吸い寄せる。2011年1月 傷害事件の現場に急行。5分後、パトカーが駆けつけて周辺を閉鎖した。2008年3月 顔と首を切られた女性が救急車で運ばれていった。2008年3月 通り魔事件と思ったが、後日、女性の知人男性が逮捕された。2008年3月 600メートル四方の歓楽街・歌舞伎町。この濃密な地域をパトロールする3人組。2013年7月 牛丼を無銭飲食したホームレス風の男性への制裁は容赦なかった。2008年7月 「てめぇ、ふざけんな、暴れるなよ!」。男性を歩道に倒して関節技をきめていた。2008年7月 応援に駆けつけた警官がにやけながら加わり、靴で顔を踏みつけた。2008年7月 さらに男性の髪を引っ張るなど過剰な制裁が続いた。2008年7月 「警察ひどいよ」「かわいそう」。ことのなりゆきを見守っていた通行人たちから同情の声も。2008年7月 これまで何度も無銭飲食者が連行される場面に遭遇してきたが、今回は明らかにやりすぎだ。2008年7月 処刑場にでも運ばれるように最後まで手荒いあつかいで男性は連行されていった。2008年7月 ボクが一部始終を目撃していたことをやりたい放題の警官たちは知らなかった。この一連の写真を見たら何を思うのだろうか。2008年7月 歌舞伎町スナイパーは、臨機応変にシャッターチャンスを狙う。2012年10月 再開発の進むコマ劇場跡地とその周辺。2015年には地上31階建ての複合商業施設がオープン予定。歓楽街も新たな時代をむかえる。2012年9月 逮捕された男性は、このまま約百数十メートル先の交番に運ばれていった。2012年3月 これはこれで重労働。警官たちは男性を連行中、なにを考えていたのだろうか。2012年3月 歌舞伎町交番まであと少し。2009年6月 警官たちの多さに驚いた。2009年6月 事件現場に急行するパトカー。撮影後、ボクも猛ダッシュ。2012年6月 パトカーが駆けつけ、さらに多くの人々でごったがえす歌舞伎町一番街入口。2008年8月 写真ルポ集『歌舞伎町』出版後、顔なじみの警官たちはよそよそしくなり、新入りに荷物検査のいやがらせを受けた。すかさず撮影。2013年3月 午前5時の大移動。2012年9月 午前6時、街はようやく眠りにつく。2012年11月

岐路に立つ大久保コリアンタウン

韓国の流行文化をリアルタイムで体感できる大久保コリアンタウン。韓流ブームに乗ってにぎわってきたが、ここ数年、憎悪むき出しの反韓デモ参加者と反差別・友好を訴える人々が交錯する緊迫の場にもなっている。岐路に立つこの街は、日韓関係の近未来を映し出す。

図:物語の始まりthe begining of a story

2013年6月、大久保通 2013年2月、大久保通 コリアンタウンをデモ行進する嫌韓派の人々。2013年3月、大久保通 新大久保駅転落事故(2001年)の際に人命救助で亡くなった韓国人留学生と日本人カメラマンの勇気ある行動をたたえて駅構内に設置されたプレート。「日韓友好の架け橋」の象徴。2011年1月 2011年9月、新大久保駅前 パフォーマンスを披露する未来の韓流スターたち。2011年9月、新大久保駅前 人々でにぎわう大久保通。2012年10月 歩道もびっしり人、人、人。2011年1月、大久保通 韓国のおやき「ホットク」は、街歩きで人気の軽食。2012年5月、職安通 ホットクをぱくつく少女たち。2012年8月 タウンマップを見ながらどこへ行くの?2012年3月 大人たちもホットクに夢中。2011年12月 女性たちでにぎわう韓流スターのグッズ販売店。2011年1月 このころチャン・グンソクの人気が高かった。2011年1月 2012年12月 夜の飲食店は、昼とは違った趣がある。2011年10月 軽快なダンスを披露する韓流アイドルの卵たち。2011年11月 夜の職安通をパトロールする警官たち。2012年11月 2011年11月、韓流スターのポスターを見入る警官。 2008年1月、上空から眺めた大久保コリアンタウン。 韓流ブームに乗って2007年ごろから人目を気にせず、店外でキムチの仕込みをする光景が見られるようになった。2012年2月、職安通近く 日本人客でにぎわう韓国料理店。2011年9月 2012年8月 化粧品を売る店員の後ろ姿にうっとり。2012年5月 韓流ショップ前で抗議の声をあげる反韓デモの参加者たち。2012年8月 大久保通をデモ行進。2012年6月 反韓デモ参加者に対して、差別発言の撤回を求める人々。2013年4月、大久保通 反韓デモの隊列に「仲良くしようぜ」のプラカードを向ける勇気ある人々。2013年2月 緊張感ただようデモ行進の現場。2013年3月 2013年6月 職安通をデモ行進する嫌韓派を取り巻いて反差別を訴える人々。2013年6月 2013年6月、職安通 反韓デモにあわせて「仲良くしようぜ」の風船が配られた。2013年6月 まつりでにぎわう大久保通。2012年10月 結婚式を終えて大久保通を歩くカップル。2007年4月 まつりでにぎわう大久保通。いまも変わらぬ風物詩の光景。2012年10月

不思議な国 ニッポンの素顔

何とも言いがたい不思議な光景と荘厳な世界が同居するニッポン。不安に満ちたこの国は、一体どこへ向かうのか。アキバ、靖国など各地を歩き、強く印象に残った写真でつづってみると、ある姿が見えてきた。

図:物語の始まりthe begining of a story

皇居を出発する儀装馬車。2007年 2008年、秋葉原 2008年、秋葉原 2008年、秋葉原 2008年、秋葉原 2008年、秋葉原 2008年、秋葉原 2008年、秋葉原 陸上自衛隊の富士総合火力演習。2万人を超える観覧者たちは、どんな思いで演習を見守ったのだろうか。2007年、東富士演習場 2007年、東富士演習場 2007年、自衛隊演習 2007年、自衛隊演習 2007年、自衛隊演習 自衛隊のセレモニー。2007年 2014年、靖国神社の朝 2014年、靖国神社の朝 2014年、靖国神社の朝 2005年8月14日、靖国神社 2005年8月15日、靖国神社 靖国神社を参拝する小泉純一郎首相。2005年10月17日 2005年8月15日、靖国神社 2005年8月14日、靖国神社 2005年8月14日、靖国神社 2005年4月、靖国神社の昼 2005年4月、靖国神社 靖国神社は花見の名所。2014年3月 参道中央にそそり立つ大村益次郎の銅像。2014年1月 銅像の大村益次郎は、日本陸軍の創始者。2014年1月 靖国神社の創建に尽力した人物でもある。2014年1月 靖国神社の参道は、ランドセルを背負った子どもたちの通学路。2014年1月 銅像の高さは、台座を含め12.7メートル。子どもたちは卒業まで何千回、銅像を目にするのだろうか。2005年4月 2012年、明治神宮 2007年元日、明治神宮 ロマンスカーを見送る清掃作業員たち。2014年、箱根 2014年、箱根 VIPを乗せて皇居に戻る儀装馬車。2007年4月25日、皇居前広場

昭和情緒守る新宿ゴールデン街

木造2、3階建ての長屋群に200軒を超える飲食店がひしめく新宿ゴールデン街。歌舞伎町の一角、この酒場街で、夜ごと繰り広げられる喜怒哀楽のドラマに迫った。会話の聞こえてきそうな権徹の写真は、みる者を引き込み、酔わせる。

図:物語の始まりthe begining of a story

昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街 昭和情緒守る新宿ゴールデン街

春ランラン にっぽんの花見

にっぽんの春、とくに桜の木のしたで繰り広げられる宴会は、権徹にとって驚きの光景だった。韓国では花の下で宴会をやらないからだ。毎年、サクラの季節になると週末、上野公園など名所に出かけ、撮影を続けている。名場面を紹介する。

図:物語の始まりthe begining of a story

思わずボクも心の中でバンザイ!2008年、上野公園の花見 ハイ、チーズ!2009年、上野公園の花見 レンズを向けると、一升瓶で応えてくれた。2009年、上野公園の花見 お酒をすする罰ゲーム。きつそう。2008年、上野公園の花見 屋外でハッスル宴会芸が見られ、春は、いとおかし。2008年、上野公園の花見 夜桜は味わい深い。2008年、上野公園の花見 桜の回廊を思い思いに散策する人々。2013年、上野公園の花見 桜の花と芸子は似合う。2009年、上野公園の花見 この翌年、「3.11」の悲劇が日本を襲い、花見どころではなくなった。2010年、上野公園の花見 思わず飛び入り参加も。2010年、上野公園の花見 扇の舞にしばし見入った。2013年、上野公園の花見 花見の季節になると、芸子たちの演舞が脳裏に浮かぶ。2013年 花見のあとは、不忍池の弁天堂参り。2013年 桜の美しさ、記憶に、記録にとどめたい。2013年、上野公園の花見 礼儀正しく!?宴会。2009年、上野公園の花見 見せます!上野公園の大道芸。太鼓の音に大勢の観客が集まった。2013年 “炎の剣”で真剣勝負!?2010年、上野公園の花見 場所取りは若手社員の「仕事」。寒さはダンボールでしのぎ、読書で時間をつぶす。2009年、上野公園の花見 花見の宴会は社業の一部。大先輩へのお酌は忘れないようにね。2013年、上野公園の花見 ダンボールの壁で寒さよけしながら、宴会満喫。2009年、上野公園の花見 突然、雨が降り出し、ビニール傘の花が満開状態に。2008年、上野公園の花見 年に一度!?の屋外の大イベント。雨が降ってもやめられない。2008年、上野公園の花見 ここまでするんだ。便利なブルーシートで。2009年、上野公園の花見 どんな仕上がりになるのかな、サクラ並木の絵。2009年、上野公園の花見 散りはじめのサクラは、心をゆらす。2013年、上野公園の花見 流しザムライとバニーちゃん。リクエストの応え、演歌やポップス曲を熱唱。2010年、上野公園の花見 夢うつつ、春の日差しを全身にあび、まったりと場所取りの「大仕事」をこなす。2009年、上野公園の花見 花見のフィナーレ到来を告げる花吹雪。感傷的な気分に。2009年、上野公園の花見 上野の杜の住人たちにとって、現金をかせぐ忙しい季節だ。2009年、上野公園の花見 場所取りの仕事で1日数万円をかせぐ住人もいるらしい。2009年、上野公園の花見 アジア人のグループが乾杯!2013年、上野公園の花見 夕暮れの不忍池。2013年、上野公園の花見 そびえ立つ東京都庁舎の麓の新宿中央公園で花見を楽しむサラリーマンたち。2009年 ホームレスたちのビニールハウス。ブルーのシートとサクラの色のコントラストが複雑な気持ちにさせる。2009年、新宿中央公園 横になって若者たちの宴会が終わるのを待つ公園の住人。今日はどんな食事にありつけるのか。2009年、新宿中央公園 新宿中央公園で花見を楽しむママさんたち。息抜きできたかな。2009年

人間劇場 新宿歌舞伎町

海兵隊スナイパーから転身、銃をカメラに持ちかえ、夜の歓楽街・新宿歌舞伎町を17年以上撮り続けてきた韓国人カメラマンによる写真ドキュメント。あの大事件が起きたときも、警察による一斉摘発がおこなわれたときも、演歌の殿堂コマ劇場が取り壊されたときも、祭で街がわいたときも、いつも彼は現場にいた。新宿で暮らし、夜ごと3万歩近く歩き続けてきたからこそ撮れた「リアルな歌舞伎町」がここにある。

図:物語の始まりthe begining of a story

東洋一の歓楽街へようこそ。歌舞伎町のメインストリート・セントラルロード入口、2007年1月 おそろいのハッピ姿でポーズを決めてくれた阪神ファンの4人組。歌舞伎町一番街入口、2007年3月 2009年4月 新宿コマ劇場前、2009年11月 キャバ嬢たちの“花魁”道中。新宿コマ劇場前、2012年9月 キャバクラビルの起工式。近くのビルの屋上からのぞいてみると、華やかな屋外パーティーで盛りあがっていた。2010年3月、歌舞伎町さくら通り 午前1時半すぎ、仕事が終わって衣装をレンタル店に返しに行くのだろうか、歌舞伎町あずま通りで、後ろ姿のステキな美女たちをみかけた。2010年7月 20年近く前、歌舞伎町で一大ホストクラブチェーンを営む愛田武社長との出会った。社長は華やかなネオンで彩られた店内で、常連客の女性とタンゴのリズムにあわせて軽快にステップを踏んでみせてくれた。2011年4月 いまはなきコマ飲食店街入口ロビーで雨宿りするホストたちを、おばあちゃんにだっこされながら眺める高橋しょうた君。幼い彼の目に歌舞伎町はどう映ったのだろうか。2008年10月 ゴージャス!走るホストクラブ。新宿靖国通り、2011年7月 パチンコ店の宣伝用トランクを引きずって歌舞伎町を練り歩く女性たち。2013年4月 クリスマスが近づくと、歌舞伎町のネオンも一層華やかさを増す。2012年11月未明、新宿区役所通り 歌舞伎町セントラルロード、2007年10月 警戒中の警官たちを興味深げに見上げるあんじゅちゃん(2歳)。歌舞伎町コマ飲食店街にあった雑貨店のお孫さんだ。2008年6月 2008年真夏の深夜、人通りの多い歌舞伎町コマ劇場前では、路上に座り込む若い女性たちが目立った。 孫のしょうた君と新宿コマ劇場前を散歩する寿司屋の大将。2009年3月 2011年10月 深夜、新宿区役所前で刃物を振り回した男を必死に追いかける警官たち。2013年1月 刃物男に追いついて取り押さえる警官たち。2013年1月 パトカーのライトが取り押さえられた刃物男を照らし出す。2013年1月 新宿コマ劇場前、2010年2月1日 御一行様、めざすはコマ劇場。コマ劇場に向かうツアー客は、歌舞伎町の活気ある日常風景だった。コマ閉館後の2008年末以降は、中国人の団体客がそれに代わって目立つようになった。2008年9月 演歌の殿堂・新宿コマ劇場に響くサブちゃん節。この日は北島三郎のロングラン公演の最終日。ボクは2500円を払って途中入場、2321席はファンで埋め尽くされていた。2008年10月 公演終了後のコマ劇場前。2008年9月 昭和の輝きを守った老舗キャバレー「クラブハイツ」は2009年、36年の歴史に終止符を打った。 熱演するクラブハイツのダンサーたち。2008年10月 出番前のウォーミングアップ。出演前、楽屋の非常口の外で発声練習や柔軟体操をするミュージカルダンサーたち。歌舞伎町クラブハイツ、2008年10月 1998年当時、新宿コマ劇場前広場では、さまざまな大道芸が楽しめた。 新宿コマ劇場前広場の“夜の早明戦”では明治が「圧勝」。伝統のお祭りさわぎも、2009年以降は警備が厳しくなり、見られなくなった。2005年12月 新宿コマ劇場前広場は、ホームレスたちにとって、歌舞伎町で一番安全な「休息地」だった。2008年6月 新宿コマ劇場前広場でかけっこをする小学生のショウタロウ君とミミちゃん。二人は週に何度か親とやってきて、遅くまでお絵書きなどをして遊んでいた。2008年7月 2006年10月、新宿コマ劇場前広場で開かれたファッションショー。和紙で作った斬新な衣装を着たモデルたちが次々と現れ、通行人の目をくぎづけにした。 十二社熊野神社の例大祭。新宿最大のこの秋祭では、みこしをかついだ歌舞伎町の住人たちが街を練り歩く。夜の歓楽街とは違った盛りあがりをみせていた。2006年9月 福島第一原発事故による放射能汚染が続くさなかの2011年9月、規模を縮小しながらも十二社熊野神社の例大祭が開かれた。そんな状況だったので、歌舞伎町一番街でハッピ姿の子どもを見ながら、日本の明るい未来を願わずにはいられなかった。 飲み会の締めだろうか、学ラン姿の応援団員らが新宿コマ劇場前広場の舞台を独占、約20分にわたって熱演していた。2012年6月