Towards the end of the World War Ⅱ, Okinawa became a desperate battlefield with casualty of 230,000 people including civilians. Afterwards, it became separated from Japan, and set under the military control of the U.S. ― the winner of the War ― for more than a quarter of a century. Even after its return to Japan, American bases due to Japan ― U.S. military alliance, occupy 20% of Island of Okinawa. Most of these photographs shown here were precious testimonies captured during the American control of Okinawa.
第二次世界大戦末期、日米両軍が死闘を繰り広げ、住民を含む23万人の犠牲者を出した沖縄。戦後四半世紀余りの長きにわたり、日本から切り離され、戦勝国アメリカの軍事支配下に置かれた沖縄。その沖縄は、日米軍事同盟により、今なお島の20%が米軍基地。ここに紹介する写真のほとんどは、米軍統治下の沖縄を捉えた貴重な写真である。
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古くは山本周五郎の小説「青べか物語」の舞台として、近年は「東京ディズニーランドのある街」、あるいは東日本大震災時、液状化現象が多発した街として知られる千葉県浦安市ーー。かつてこの街は、アサリやハマグリなどの貝漁で生きるローカル色あふれる漁師町であった。戦後間もなくこの町へ足繁く通い、人々の日常にカメラを向けた高校生がいた。森口豁だ。16歳の目に映った浦安の風物詩。
注:写真はいずれも1953年6月から54年9月にかけて猫実(ねこざね)、堀江両地区で撮影。※ 印の地名は、埋め立て地に付けられた地名。
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沖縄の島々で暮らすウチナーンチュの日常生活を、「日本復帰」前から温かいまなざしで見つめつづけた。一方、米軍基地問題に対しては、生活者の目線で厳しく臨んだ。ジャーナリスト・森口豁の貴重なドキュメンタリー写真を順次公開。
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沖縄には40の有人島がある。ジャーナリスト・森口豁は、そのうち30を超える島々を3度集中して歩いた。生活環境の厳しい島々で感じたことは、「何もないがゆえの豊かさ」だった。シマンチュ(島人)たちの喜怒哀楽に満ちた暮らしに迫った。
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八重山諸島・鳩間島の人たちの戦後史は、出会いと別れの歴史であった。かつては600人もの住民であふれていた島は、1972年の日本復帰を境に激しい過疎化の波に見舞われ、現在の人口はわずか63人だ。いつ廃村になってもおかしくはない島の危機を救ったのは、海を越えてやって来た幼い子どもたちであった。1974年から40年にわたり見つめ続けた孤島のドキュメント。
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沖縄の久高島にかつてイザイホーといわれる秘祭があった。12年に1度の午年に行なわれる神聖な神事だ。参加できるのは30歳から41歳の島生まれの女性のみ。だが、急激に進む過疎化で有資格者が絶え、1978年を最後に姿を消した。1966年12月、神秘のベールを脱いだ「幻の神事」イザイホーの貴重なドキュメント。
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年間平均気温が摂氏23度を超える亜熱帯の島・沖縄ーー。木々を伝う風は優しく、寄せ来る波は穏やかだ。四季を通して咲き誇る草花が、人びとの気持ちをなごませてやまない。ウチナーンチュの心のやさしさは、こうした自然が育んだに違いない。
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「広大な沃土」と「王道楽土」を求め、かつて多くの日本人が移り住んだ中国東北部・旧満州。その数、実に30万人。「開拓」という名の収奪と「建国」の名による支配ーー。その痕跡を訪ね、駆け足の旅をした。日露戦争の激戦地・旅順への外国人の立ち入りが禁じられていた時代と、改革・開放の進む2000代初頭。そこで目にしたものは…。
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