フォトプレス所属の映像職人たち

沖縄、里山、歌舞伎町……。この道にこだわり続ける映像職人たちの横顔紹介。

森口豁 もりぐちかつ Katu Moriguci森口 豁Katu Moriguci

ジャーナリスト・映像作家。1937年東京生まれ。
59年米軍政下の沖縄に渡り、琉球新報記者や日本テレビ「特派員」として74年まで沖縄で暮らす。その後も50数年、沖縄報道に携わる。
主な著書に、成海璃子初主演のドラマ「瑠璃の島」の原作『子乞い 沖縄孤島の歳月』(凱風社)、沖縄タイムス出版文化賞受賞の『だれも沖縄を知らない 27の島の物語』(筑摩書房)など。最新刊は写真集『さよならアメリカ』(未来社)。
〈虫の眼、鳥の眼〉で撮った写真は、みる者の心を揺さぶる。「米軍政下の沖縄」をテーマに、沖縄、福岡、埼玉など各地で写真展開催。

庶民の日常切りとる名手


権徹 ゴンチョル Kwon Choul権 徹Kwon Choul

元韓国海兵隊出身のドキュメンタリー写真家。1967年生まれ。
エキサイティングな街・新宿歌舞伎町に魅せられて撮影を続け17年目。写真ルポ集『歌舞伎町』(扶桑社刊)で第44回講談社出版文化賞写真賞を受賞。大久保韓流のほか、ハンセン病回復者たちの素顔に迫る写真を精力的に撮り続けている。
待望の最新刊は『てっちゃん  ハンセン病に感謝した詩人』(彩流社刊)。
撮影対象は広く、人間味あふれるポートレイトも得意とする。
水泳が特技でライフガードの資格を持つ。好きな音楽は石川さゆり「津軽海峡冬景色」。

抜群の瞬発力が持ち味


高橋慎一 たかはししんいち Sinici Takahasi高橋 慎一Sinici Takahasi

写真家・映像作家。1969年東京生まれ。
18歳から日雇い労働、キャバレーのボーイ、高層ビルのゴンドラ作業員など30種の職を渡り歩く。歌舞伎町のパチンコ店員だった20代前半、心機一転、カメラマンを志す。東京工芸大、写真スタジオを経て独立。物撮りから海外取材までしなやかにこなす。『ライフスタイル・オブ・キューバ』(繊研新聞社刊)など著書多数。
愛読書はガルシア・マルケスの『百年の孤独』と宮本常一の『忘れられた日本人』。創作活動の戒めに。キューバ音楽の今を伝えるドキュメンタリー映画『Cu-Bop(キューバップ)』 を初監督・制作中。

軽妙洒脱に物語をつむぐ


塩崎亨 しおざきとおる Toru Siozaki塩崎 亨Toru Siozaki

写真家・写真専門学校講師。1972年東京生まれ。
ゲーム制作会社の3Dグラフィックデザイナーとして多忙な日々を送っていた2003年、小松健一氏の写真展「ヒマラヤ古寺巡礼」と出会い、その世界観に圧倒される。そして会社勤めのかたわら、写真専門学校に通う。2006年、写真家として独立、ダンスイベントの撮影などで頭角を現す。ダンス雑誌や『月刊EXILE』などで異彩を放つ。話題作『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社刊)では装幀と文中の写真を担当。
ブレッソン、エグルストンら写真表現の先駆者たちからも強い影響を受ける。「人生の糧になる写真」を追い求め、日々しなやかに被写体と向き合う。

人生の糧になる写真を


山城博明 やましろ ひろあき Hiroaki Yamasiro山城 博明Hiroaki Yamasiro

報道写真家。1949年沖縄・宮古島生まれ。
1975年に読売新聞西部本社に入社し、報道カメラマンの道を歩み出す。1985年、琉球新報社に転職、沖縄のいまを撮り続ける。
2013年、横浜の日本新聞博物館で写真展「報道カメラマンが見た『激動のOKINAWA42年』」を開催。ライフワークとして、琉球列島とアジアの自然を撮影。イリオモテヤマネコの撮影などネイチャードキュメントで本領発揮。最新刊は『琉球の聖なる自然遺産「野生の鼓動を聴く」』(高文研)。
「カメラマンである前に人間らしく生きる」の思いから、ファインダーを通して沖縄の基地問題と格闘し続ける。

沖縄の今を追い続け43年


広瀬 敦司 ひろせ あつし Atusi Hirose広瀬 敦司Atusi Hirose

ネイチャー写真家。1972年東京・東村山生まれ。
少年時代、近くの里山でよくバッタやカマキリなどの虫取りをして遊ぶ。写真専門学校卒業後、高尾山の自然に魅せられて10年ほど通い、『写真集 高尾変奏曲』を上梓。その後、伊豆半島・天城連峰のブナの森を撮った『天城』(ムーンプレス刊)、地元・狭山丘陵を見つめた『東京の里山 狭山丘陵の四季』(新泉社刊)を発表。そのかたわら写真展を多数開催。
東村山市から依頼のあった「人権の森」のポスター用写真撮影では、カメラだからこそ表現できる森の命の輝きに迫った。
クルマが趣味。愛車を走らせ、取材目的地までのドライブを楽しむ。

春夏秋冬、輝く命を追う


福里 政哉 ふくざと まさや Masaya Fukuzato福里 政哉Masaya Fukuzato

1973年生まれ。沖縄県宜野湾市在住。
高校卒業後、観光写真の撮影会社に就職。20歳のとき上京。写真専門学校で基礎を学び直し、スタジオカメラマン助手として腕を磨く。
24歳のとき、沖縄に戻る。『沖縄JOHO』などのタウン誌で活躍。一時、沖縄タイムス写真部に在籍、報道写真にも目覚める。料理、風景、野球・陸上などのスポーツから基地問題まで幅広く撮影。大胆かつ繊細さが持ち味。『西表やまねこ診療所』(扶桑社刊)では装幀と本文中の写真を担当。「因果応報」が信条で、受けた依頼は「絶対手を抜かない」。
「沖縄を体感したいみなさん、臨機応変にリクエストにお応えします」

大胆かつ繊細に全力撮影