高橋慎一 たかはししんいち Sinichi Takahasi

高橋 慎一たかはし しんいち

韓国 旅芸人たちの伝統技

李氏朝鮮時代に起源を持つ「男寺党(ナムサダン)ノリ」。かつて朝鮮半島全土に数多く存在し、村々をめぐった旅芸人一座のことだ。ソウル近郊の安城市を拠点に公演活動を続ける芸人たちの伝統技と躍動美をドキュメント!

図:物語の始まりthe begining of a story

劇団の花形、ジュルタギという綱渡り芸を担当するソ・ジュヒャン。21歳の若手ながら芸歴10数年のベテランだ。2012年9月、韓国安城(アンソン)市 楽屋口の廊下で準備をする団員たち。2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 公演直前、ソ・ジュヒャンの表情から笑顔が消えた。2012年9月、韓国安城市 かつて、豊作祈願の群舞として農村各地で披露された「農楽舞(プンムルノリ)」。2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 躍動感あふれる舞は、観客を魅了。2012年9月、韓国安城市 男寺党(ナムサダン)ノリは、2009年、ユネスコ人類無形文化遺産に登録された。2012年9月、韓国安城市 アクロバティックな「皿回し(ボナ)」。2012年9月、韓国安城市 革を素材に作られた「ボナ」を空中に投げてキャッチする技はお見事!2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 観客とのふれあいを大切にする芸人たち。2012年9月、韓国安城市 「農楽舞」最大の見所、子どもをかついでの「無童(ムドン)ノリ」。2012年9月、韓国安城市 ムドンノリは、若い男が幼子を肩にのせて舞い遊ぶこと。2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 ひとりずつかつぐ人数を増やす。7人のせの七舞童(チルムドン)が最難度の技だ。2012年9月、韓国安城市 安城市ののどかな田園風景の中に建つ常設劇場。かつて村々をめぐって披露された伝統芸は、ここで観ることができる。2012年9月、韓国安城市 宙返りの芸(サルパン)。2012年9月、韓国安城市 サルパンのネーミングは、「うまくいけば粋、ダメなら死ぬまでよ」というフレーズに由来。ユーモアに富んだ話芸と演技で世相を風刺する。 2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 滑稽なしぐさが笑いを誘う狂言回し。サーカスのピエロ的な存在だろうか。2012年9月、韓国安城市 荘厳な『アリラン』の旋律が鳴り響くなか、ソ・ジュヒャンが綱渡り(チュルタギ)を披露。2012年9月、韓国安城市 綱の高さは3メートル。2012年9月、韓国安城市 狂言回しとユーモアあふれるかけ合いをしながら、行ったり来たりするソ・ジュヒャン。2012年9月、韓国安城市 綱渡りは楽士の奏でる絶妙な合いの手に合わせ、繰り広げられる。綱の上を前進するだけではない。後ろ向きに歩いたり、飛び跳ねたりする。 チュルタギは一番人気の出し物だ。2012年9月、韓国安城市 2012年9月、韓国安城市 この公演の模様は、『アラウンド★ソウル―ソウル発 韓国の風土と物語を訪ねる小さな旅』(渡辺直子著、繊研新聞社刊)の中で詳しく紹介。 90分におよぶ公演の入場料はわずか1000ウォン(約80円)。安城市の支援により、「男寺党ノリ」は庶民の芸として現在も人々の心を癒やしている。

「早撮りの名手」若松孝二監督

時代の先端をひた走る表現者たちを撮影してきた高橋慎一は、名作映画から多大な影響を受けた。敬愛してやまない「早撮りの名手」若松孝二監督もそのひとり。時代と格闘するトップランナーの素顔を順次紹介する。

図:物語の始まりthe begining of a story

時代を先取りした「問題作」を描きつづけた若松孝二監督。新宿御苑近くの事務所の壁にはチェ・ゲバラのTシャツが飾られていた。2005年 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の撮影現場でスタッフに指示する若松監督。『連赤』は支援者からのカンパと自宅を担保に入れて作られた。2007年、埼玉県庁中庭 若松監督は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の公式ガイドブックを手に、撮影秘話を語ってくれた。2008年、若松プロ 連合赤軍事件の発端となった大菩薩峠(山梨県)近くの撮影現場を歩く若松監督。氷雨の降る中、何を想っていたのだろうか。2006年11月 『実録・連合赤軍』の撮影現場で、音楽担当のジム・オルークと談笑する若松孝二監督。2007年 「最近はやたらと文化庁が映画に助成金を出しているけど、そんな税金のムダづかいはやめろ」。映画制作の実情を批判する若松監督。2008年