山城博明 やましろひろあき Hiroaki Yamasiro

山城 博明やましろ ひろあき

沖縄ワンダフルアイランド

報道カメラの現場で培った撮影技術を駆使して、普段なかなか目にすることのできない沖縄の島々の雄大な自然と向き合った。空から海から迫った山城ネイチャー・ワールドは、みる者を圧倒する。

図:物語の始まりthe begining of a story

宮古島から大神島をのぞむ。2006年 座間味島沖でジャンプするザトウクジラ。2002年 久米島沖に広がるハテの浜。全長約7キロの砂浜は、人気観光スポットだ。2005年 国立公園の指定を受けた慶良間諸島のサンゴの海。2002年 座間味島で見た太陽と空。2003年 座間味村阿嘉島冲で見たサンゴの産卵。1991年 アカウミガメの産卵。2003年6月、沖縄本島 アカウミガメの産卵。 アカウミガメの産卵。 アカウミガメの産卵。 奥武島の畳石。沖縄県指定の天然記念物だ。2007年 座間味島のニシハマビーチ。2003年 断崖に咲くテッポウユリ。2004年、渡名喜島 断崖に咲くテッポウユリ。2005年4月、渡名喜島 ヨナグニイソノギク。2007年、与那国島 オカヤドカリを加えて飛ぶアカショウビン。2007年、西表島 貝を割るアカショウビン。2007年、西表島 貝を割るアカショウビン。 ヒナにエサを与えるアカショウビン。2002年 ヒナにエサを口移しするアカショウビン。2007年 原生林を蛇行する浦内川。2003年、西表島 仲間川上流。2007年、西表島 国の特別天然記念物、イリオモテヤマネコ。2006年 雨にぬれたイリオモテヤマネコ。1992年 西表島では昔から「ヤママヤー」(山にいるネコ)、「ヤマピカリャー」(山で光るもの)などと呼ばれてきた。2006年 「生きた化石」と呼ばれるイリオモテヤマネコ。2006年 川面に浮かび流れる川サガリバナ。2005年、西表島 優雅な花の姿は一夜限りのサガリバナ。芳香が漂う。2007年、西表島 赤い月とヤンバルクイナ。2009年、沖縄本島北部 ヤンバルクイナのペア。2010年、沖縄本島北部 ケラマジカと満月。2005年、座間味島 ケラマジカは国の天然記念物でもある。2007年、座間味島 ケラマジカのお尻に飛び乗るハシブトカラス。2011年、座間味島 タカ科の最小種ツミの子育て。1992年、沖縄本島南部 若夏国体で見た金環日食。1987年 座間味島沖で夕陽を浴びて泳ぐザトウクジラ。2002年

続・沖縄ワンダフルアイランド

アジサシなどが群れて舞う海鳥の楽園や、海原を悠然と泳ぐジュゴンを空撮。沖縄本島北部・ヤンバルの森では、ノグチゲラの子育てやヤンバルクイナの決闘シーンをキャッチ。新鮮な驚きのカット満載!沖縄ネイチャー・ワールド第2弾。

図:物語の始まりthe begining of a story

尖閣・南小島。後方に見えるのは魚釣島。2002年 尖閣・南小島の北側は切り立っているが、南側は平坦だ。2002年 西表島と与那国の中間に位置する無人島・仲ノ神島(なかのかみしま)。2004年 仲ノ神島は海鳥たちの楽園。2004年 カツオドリの幼鳥。カメラを向けるとじっとにらんでいた。1996年、仲ノ神島 セグロアジサシの営巣地・仲ノ神島。西表島が後方にかすんで見える。1996年 仲ノ神島を覆う海鳥の群れ。1996年 コアジサシの抱卵。2011年、豊見城市 子育て中のコアジサシ。つがい同士でエサを与えあうことも。2011年、豊見城市 夕陽を浴びながらエサ場を群れて舞う海鳥たち。2006年、西表島沖 マイラ川の夜明け。2006年、西表島 マリュドゥの滝。下方の丸い滝つぼへ流れる滝であることからこの名がついた。2003年、西表島 仲間川で見かけたマングローブ。2006年、西表島 セマルハコガメのペア。頭や尾を完全に甲羅の下に閉じることから、ハコガメの名がついた。2003年、西表島 花の蜜をすうオオゴマダラの群れ。2003年、阿嘉島 羽を開くと色鮮やかなコノハチョウ(右)。2013年、沖縄本島・本部半島 羽を閉じると、その名の通り木の葉にしか見えないコノハチョウ。2013年、本部半島 国頭村・奥間川上流に広がるヤンバルの森。2004年 ノグチゲラのペアは交代で卵を温める。メスの親鳥が巣穴から顔を出した。2012年 巣穴から顔を出すノグチゲラのヒナ。2011年 特別天然記念物のノグチゲラは、ヤンバルクイナ同様に沖縄本島北部の森だけに生息。2009年 仲良く寄り添ってエサをさがすヤンバルクイナの親子。2009年 ヤンバルクイナの決闘シーンに遭遇。路上でにらみあう2羽。2010年、国頭村 おっと、いきなりパンチ。 さらに空中に跳び上がって攻撃。 ついに一方がダウン。 ダウンしたところにダメ押しの蹴り。 カンムリワシの若鳥。沖縄に生息する野鳥のなかで最も大型。特別天然記念物のこの鳥の飛翔する姿は、八重山地方の民謡や踊りに登場する。2003年、西表島 オオコノハズク。2011年、沖縄本島 部分日食したまま太陽が沈む「金環部分日食」。座間味島沖でクジラを撮影中に出会った。真っ赤で大きな三日月が沈んでいく光景は、神秘的だった。2010年1月15日 ダイトウコノハズク。沖縄本島の東400キロの太平洋の孤島に生息する。2013年 越冬のため中国南部へ渡る途中、沖縄に迷いこんだコウノトリ。1986年、豊見城市 サンゴの海。慶良間諸島・阿嘉島の海は、200種以上のサンゴが生息する世界有数のサンゴの楽園である。 沖縄本島の東海岸を中城湾からヘリで北上中、ジュゴンを発見。2004年、名護市嘉陽冲 ジュゴンは、伝説の人魚のモデルとされる絶滅危惧種。このジュゴンの貴重な採食場の広がる辺野古の海をつぶし、新基地建設の計画が水面下で進んでいる。 日本最西端・与那国島の海にそそり立つ立神岩。2003年

世界一危険な米軍普天間基地

沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件からこの夏10年目を迎えた。「世界一危険な普天間基地」は全面返還されるどころか、さらに危険なオスプレイが強行配備されて住宅街を我が物顔で飛行。日米地位協定の厚い壁に守られて取材もままならなかった墜落事件当時のあつかった夏を中心に振り返る。

図:物語の始まりthe begining of a story

米軍普天間基地を発着陸するヘリ。 人口約9万6000の宜野湾市のど真ん中に居座る普天間基地は「世界一危険な基地」。 沖縄国際大学に墜落した大型輸送ヘリCH53Dの同型機。市民の不安をよそに住宅街を頻繁に飛び交っていた。 2004年8月13日午後2時40分すぎ、沖縄国際大学前の通りは、消防車と警察車両で埋め尽くされた。 沖縄国際大学構内に墜落した米軍ヘリCH53Dの残骸。現場に駆けつけたときには、まだ白煙が上がっていた。 ヘリは、冲国大の本館外壁に接触して墜落。墜落直後に爆発して火柱と黒煙を上げながら激しく炎上した。 墜落現場近くのマンション通路から見た惨状。ヘリの激突した大学本館には当時30人近い職員がいた。ヘリの乗員3名が負傷しただけで済んだのは奇跡。 住民たちが消火作業を不安そうに見守っていた。 冲国大本館の外壁には、黒いすすとともに、ヘリ回転翼の生々しい爪痕が刻まれていた。 長さ8メートルの回転翼が民家の玄関先のスクーターを直撃。墜落現場近くのアパートなどにも機体の残骸が突き刺さっていた。この惨事で負傷者ゼロは、まさに奇跡だ。 ヘリ墜落現場からわずか70メートルの落下現場。住民たちが抗議のため米軍側に詰め寄った。 その後、警官も駆けつけた。米兵たちは、黄色いテープを貼りめぐらし、現場への立ち入りを禁止した。 ヘリの部品とコンクリート片が弾丸のように飛び散り、アルミ戸や窓ガラスなどを貫通するなど近隣38世帯で被害が確認されている。 夕方、記者会見を開く伊波市長(手前)と大学関係者。共同声明を発表し、怒りをあらわにした。 事件の翌日、完全防備の米兵たちが墜落機の現場検証にあたっていた。 現場は夜間もライトで照らされ、機体の破損状況を確認することができた。 機体に使われている放射性物質から身を守るため防護マスク姿で、残骸を調べる米兵たち。 事件の5日後、機体の回収作業が始まった。 エンジン部分だろうか、クレーンでつり上げられていた。 女性兵士がつり上げ作業を見守っていた。男女平等の米軍!? 黄色い非常線の外では、沖縄県警の警官たちが作業を見守っていた。日米地位協定が壁となり、米軍の回収作業が終わるまで、現場への立ち入りはできなかった。 大惨事の現場では、笑顔を見せる米兵の姿も見られた。 防護マスク姿で機体を調べる米兵。ローター部分には、放射性物質ストロンチウム90が使われていた。 墜落現場周辺の樹木は、米軍の独断で伐採された。日本の施政権と大学の自治が堂々と侵害された出来事のひとつだ。 米軍は、海兵隊員を大勢投入して、現場の土さえ勝手に持ち去った。 破片の散乱した冲国大本館の非常階段。事故当時のすざましい模様が目に浮かぶ。 ヘリは爆発炎上したものの、建物への延焼は奇跡的に免れた。 ヘリ墜落から6日後、ようやく沖縄県警の捜査員が現場検証に入った。米軍は、ヘリの残骸、さらに土さえも隣接する普天間基地に持ち去った。 大学構内での事故だったにもかかわらず、国内法は適用されず、米軍はやりたい放題だった。沖縄の米軍占領はいつまで続くのか。 冲国大グラウンドで開かれた宜野湾市民大会。約3万人が集結、ヘリ墜落に強く抗議し、普天間基地の早期返還を求めた。 パラソルなどを使い思い思いに意思表示する市民大会の参加者たち。 黒くすすけた本館外壁とかろうじて焼け残った木。本館は2005年に建て替えられたが、焼け残った木は、米軍ヘリ墜落事件をいまに伝えるモニュメントになっている。 普天間基地滑走路に駐機するCH53。背後に見えるのは沖縄国際大学の5号館校舎。 イラクから普天間基地に戻ったCH53。帰還兵たちは、どんな思いで沖縄の地を踏んだのだろうか。 墜落事件の翌2005年の普天間基地包囲行動では、2万4000人近い参加者たちが、周囲11.5キロの基地を取り囲み、「早期全面返還」を求めた。 2012年11月、島ぐるみの反対の声を無視、全面返還どころか、新鋭機オスプレイが普天間基地に配備された。

我が物顔飛行 オスプレイの恐怖

沖縄県民の圧倒的な反対の声を無視して普天間基地に強行配備されたオスプレイ。日米間で取り決めた「運用ルール」さえも破り、人口密集地や夜間の飛行を繰り返す。さらに名護市辺野古では、「普天間移設」を名目に新基地建設へ向けた暴挙が続く。沖縄の世論は、欠陥機オスプレイの恐怖も新基地も認めない。

図:物語の始まりthe begining of a story

沖縄県民の反対の声を無視して普天間飛行場に初めて飛来したオスプレイ。2012年10月1日 第2陣のオスプレイを見上げる人々。2012年10月 新たな「不安」を運んできた垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ。2012年10月 2013年8月までに24機が配備された。 ヘリコプターと固定翼機双方の機能を兼ね備えた「ティルローター」がオスプレイの特徴。安全性に不安の残る世界初の技術だ。2013年5月 強行配備されたオスプレイがずらりと並ぶ普天間基地。2012年11月 初めて間近に撮影したオスプレイ群。ハサミを閉じたカニのように不気味だった。2012年12月 機体に乗った整備兵は、翼や外観をチェックしていた。2012年12月 オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会。10万人を超える人々が気勢を上げた。2012年9月9日 宜野湾海浜公園で開かれた県民大会。仲井真知事は欠席したが、超党派の代表が勢ぞろい。島ぐるみで反対の姿勢を示した。2012年9月 滑走路へ向かうオスプレイ。2012年10月 離陸するオスプレイ。2013年8月 普天間基地に隣接する幼稚園の子どもたち。2012年11月 爆音に思わず空を見上げていた。2012年11月 電線工事をしていた男性も空を見上げていた。2012年11月 住宅街を飛行するオスプレイ。2012年11月 沖縄自動車道の上空を飛行。2012年12月 金武町上空をヘリモードで飛行。2012年11月 キャンプ・ハンセン基地に訓練のため飛来。2012年11月 キャンプ・ハンセンに演習のため着陸。2012年11月 「バケツ」をつりさげ、演習で発生した山火事を消火中。2013年9月 金武町議会議員選挙ポスター掲示板の向こうに見えるオスプレイ。2012年11月 アメリカ国内や海外で重大事故の絶えないオスプレイ。沖縄県民の不安は解消されないまま配備され、住宅街を飛び交っている。2013年9月 着陸態勢に入った。2013年9月、普天間基地 航空法を逆手にとって市民団体が放った風船が、普天間基地の滑走路を漂っていた。2012年10月 訓練を終えて降機する海兵隊員。2012年10月、普天間基地 エンジンカバーを外したまま、普天間基地内を移動。2012年12月 安全性に疑問の残るティルローターを整備点検する米軍関係者。2012年12月 今度は左側のローターを整備点検。2012年12月 機体を真水で洗浄中。2012年10月 夜の普天間基地。2012年10月 問題が多い夜間訓練飛行。2012年11月 運用ルールを定めた「日米合意」を無視した夜間飛行が繰り返されている。2014年1月 尾翼の赤色灯が回転し着陸。2014年1月 夜空にグリーンとレッドの光が回転発光し、他の機種と見分けがつく。2014年1月 普天間基地の朝。きょう一日、何もないことを願うばかりだ。2014年1月